2008年03月21日

 恋と病熱

2007年 04月 03日.jpg    
 写真は「盛岡心情・3」を運営している らくださんからお借りしました。

      恋と病熱
   

   けふは ぼくのたましひは疾()み

   烏(からす)さへ 正視ができない

    あいつは ちやうど いまごろから

    つめたい青銅(ブロンヅ)の病室で

     *透明薔薇(ばら)の火に燃される
 

   ほんたうに、けれども妹よ

   けふは ぼくもあんまりひどいから
 

   やなぎの花もとらない



「恋と病熱」 『春と修羅 〔第一集〕』より 
1922年3月20日(水) 賢治26歳 春と修羅を、スケッチ。

   *透明(とうめい)薔薇(ばら)の火 : 妹トシを、やがて賢治自身をも苦しめる病の高熱。
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 3月20日にスケッチした賢治の詩ですが 衝撃的な題ですね。

どうしても啄木と比べてしまいますが、啄木の人生や作品と相反して 賢治の人生は結婚せず 作品にも人の恋愛を扱った作品はほとんどないと言っていいくらい少ないように思います。



賢治最愛の2ッ年下の妹トシの素顔とは・・・
宮沢トシ(1898-1922)
 賢治の妹トシは、小学校時代から成績抜群で花巻高等学校も 最優秀で卒業 。
1915(大正4)年に東京・目白の日本女子大学校に入学しました。
トシはそこで、初代校長成瀬仁蔵氏の、
『あらゆる宗教を究極のところで一体化し、宇宙と自己の合一を求める「帰一思想」』の校長の強烈な信念、実篤な人柄、質素な生活に感動し、兄、賢治宛てに、校長の理念に尊敬の念を書いて送っております。

大正7年 東大病院小石川病院に入院。
卒業最終の試験は受けられなかったのですが、成績優秀により卒業を認められております。


 妹トシ1920(大正9)年 22歳 9月花巻高等女学校教師となる。 

 1922(大正11)年11月 27日、妹トシ24歳で永眠。
 
『トシは、どんな逆境にあっても排他的になる姿勢を避け、「宇宙との正しい関係」を大切にして、万人との真の愛をめざしてまっすぐな信念を求め生きようとする真摯な心の姿勢をもっており、そこから賢治がいかに大きな感化を受けたかを本書にて述べてまいりました。
こうした賢治とトシの生き方は、まさに現代こそ求められる大切な姿勢ではないかと思い、そうした点でも今後とも賢治とトシの研究をいっそう深め、皆さんにお伝えしたいと思います。』
山根知子さん 宮沢賢治学会イーハトーブセンター
会報にて・イーハトーブ賢治賞奨励賞受賞の際の言葉を抜粋


 賢治は、「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ」(「無声慟哭」)だったと、狂おしいまでに、その死を悲しみ思い詰めました。

賢治の熱烈な「法華経信仰」とトシが信奉した「普遍宗教的思想」と言う視点で、賢治とトシの精神的な関係を考えると興味はつきません。

 最後に賢治の精神が一番表れている言葉を一つ。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」賢治
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写真は「盛岡心情・3」を運営している らくださんからお借りしました。

まだ続きがあります。(*^_^*)
posted by mari at 09:41| 岩手 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 宮沢賢治作品とイーハトーブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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